子ども部屋リモートワークおじさん(紀元前)

※当記事はこのnoteの加筆修正版です。執筆者は同じです。

私は子ども部屋おじさん予備軍で、あと5年もすれば晴れて魔法使いになれます。もちろん所得は低いです。にも関わらず悩みも将来の不安もありませんし健康に人生楽しんでますから本当に魔法が使えるようになれるかもしれません。

さて、先週に引き続き、今週も元気に子ども部屋でお仕事をしました。子ども部屋でお仕事と言っても自宅警備ではありません。パソコンの大先生向けの被雇用者のお仕事です。とにかく捗りました。非常に捗りました。明らかにオフィスより捗りました。人生が捗りました。肌ツヤがよくなりました。毛ツヤもよくなりました。

ということでテンションが上がっているので、今回は子ども部屋おじさん予備軍の自宅警備歴10年の人物がリモートワークをすると、何故仕事が捗ってしまうのか?について書きます。その問の答えは、「暫定的な答えは2つある。1つはトレイルランにおける山岳民族のようなもので、適した場所に在ること。もう1つは知覚を分かつことを避けていることだ。としています。その答えの上で「なんで捗るのか、そんなこと考えても仕方ないのでは?」として記事を終えます。はい。ではまず色々捗る子ども部屋を貼っておきます。

仕事が捗ること請け合いの築36年2階建ての2階和室です。学習机は無いんですけどね。さてそんなオフィスの空調は、もちろん木造隙間風の快適オーガニック空調です。エアコンは夏場と雪の日しか使いません。こたつも10年使ってません。ちなみに雨漏りはありません。壁も白じゃありませんし壁紙なんかありません。評価額はこれ+築60年の平屋+200坪で日本人全体の年収の中央値くらいだったでしょうか。

そんな真の職場で、仕事が捗ったのです。港区、築4年、43階立ての31階、1坪350万以上のオフィスも良いものですし、そのような環境を用意してくださる雇用者には感謝しておりますが、しかし子ども部屋のほうが色々捗ってしまうことは確かであって、それは目に見える形で現れています。なんと幸せなことでしょう。あとは金ですね。

さて、

何故仕事が捗るのでしょうか


・南東向き2面採光の自然調光(蛍光灯要らず)
・木造隙間風空調が自身に適している
・通勤で疲れない

これに尽きるのかもしれません。しかし私が最も気に入っているのはこれらの答えではありません。最も気に入った答えは

紀元前の中国

にありました。その頃の中国にはこんな逸話があります。

※角カッコ[ ]内は翻訳者の注。カッコ()内は筆者の注。

孔子が呂梁(地名)で遊んだときのこと、そこは三十仭(50メートル)もの高い滝がかかっていて、水しぶきをあげる流れは四十里(16km)もつづき、魚類でさえ泳ぐことも出来ないところであったが、一人の男がそこで泳いでいるのが目にはいった。

[孔子は]悩みごとがあって自殺しようとしているのかと思い、弟子をやって流れの岸辺からをそれを助けようとした。

[ところが、男は]数百歩の先で水から上がると、髪をふり乱したまま歌をうたって歩いていって、包のあたりをぶらついた。孔子はついていって男にたずねかけた。

(孔子)「わたしはあなたを化け物かと思ったが、よく見るとやはり人間でした。おたずねしたいが、水中を泳ぐのに特別な方法があるのですか。」

(男)「ありません。わたしには特別な方法などはない。わたしは慣れたところから始まって、本性のままに生長し、運命のままにできあがっているのです。水の中では渦巻きに身をまかせて一緒に深く入り、湧き水に身をまかせていっしょに出てくる、水のあり方についていくだけで、自分のかってな心を加えないのです。わたしが水中をうまく泳げるのはそのためですよ。」

孔子はいった、
(孔子)「慣れたところから始まって、本性のままに生長し、運命のままにできあがっていると[言われたが、それ]はどういうことですか。」

(男)「わたしがこうした丘陵地に生まれてその丘陵地で安住しているというのが、慣れたところです。こうした水の流れとともに育ってその流れに安心しているというのが、本性です。自分が何故そんなにうまく泳げるのか、そんなことはわからずにそうあるというのが、運命なのです」

(荘子 達生篇より)
金谷治 (訳) 1982『荘子 第三冊 外篇・雑篇』 56~57p 岩波文庫

実家嫌いの人からすると納得や共感はいただけないかもしれませんが、そういう人はそういう人が適した場所でなんとかやっていただくとして、私としてはこれが「自宅でリモートワークが捗る理由」として最も気に入ったものとなりました。それについての随想をくどくど書きなぐって終わるのがこの記事です。

さて、私には3級在宅士、(元)自宅警備10年のキャリアがあります。これは勤続年数がそのまま実力の証明となる稀有な職業です。3級とはなんともサークルの副部長的ではありますが、しかしこの程度でも滝壺の彼…いや真人の気持ちは少しはわかります。体でわかります。どういうことでしょうか。

「仕事モード」という発想がなかった

自宅警備でキャリアを築いた人間が子ども部屋で勤務をする際には、いわゆる「仕事モード」のオンオフや「モチベーション」などという単語は発生しないのです。なぜか。そのような主語がそもそも現れないからです。だから本当はこんなことを書くべきではないのでしょう。

なぜうまく行くかは、よくわからないくらいでいいのかもしれません。というのもこの記事は「わからない」ことの効用を書いて終わりますから…

とりあえずは、引用文中の最後のあたりを下記のように置き換えるだけなのです。

「わたしがこうした丘陵地に生まれてその丘陵地で安住しているというのが、慣れたところです。こうした水の流れとともに育ってその流れに安心しているというのが、本性です。自分が何故そんなにうまく泳げるのか、そんなことはわからずにそうあるというのが、運命なのです」

・「丘陵地」=>「子ども部屋」
・「水の流れとともに育ってその流れに安心」=>「中学生の頃から10年以上、PCの前に座ってとりあえず画面を見ていることに安心」
・「うまく泳げる」=>「仕事が捗る」

仕事も、そろそろやるかあ、そんな感じです。日が昇って沈むことと同じことで、それ以上もそれ以下もありませんし、良いも悪いもありません。曜日感覚は部屋に紙のカレンダーが無くても、アニメ等を見なくなって5年以上経っても失いません。実を言うと子ども部屋以外でもモチベーションとかそういう言葉は発生してません。

なんだか、19歳の頃によく聞いていた楽曲、Everything in its Right Placeを思い出しました。ベタすぎますけどイイものはイイものですね。久々に聞いたんですが、イイですね。仕事が捗る子ども部屋には合致した音楽でしょう。歌詞の和訳は「ある”べき”場所」と言ってますが、子ども部屋にいる”べき”とは思ってませんよ。でも40過ぎてコレを子ども部屋で聞きながら仕事が出来たら、なかなか神妙な気持ちになれそうです。

「イケてる」オフィスで結果を出そう!

さて、さんざんリモートワークができるマイルーム自慢をしてきましたが、今こうやって書き連ねた事は都心のIT企業が自分の…綺麗なオフィスを自慢することと、(固定費以外は)特に変わらないのです。

参考:コロナ禍の時だからこそ、しみじみ感じる固定費の安さのありがたさ オサレオフィスなんていらないぜ

ビジネスに従事するにあたっては最適な結果(利益であれなんであれ)を出す必要がありますが、それを出すために「最適」な環境が「イケてる」オフィスであることに問題はありません。ただ思うのは、水泳の話がそうであるように、3級在宅士自宅警備10年の私にとっては、子ども部屋こそが結果を出すために最適な「イケてる」オフィスなのでしょう。ところで、イケてるSaaSソフトウェアはこういう子ども部屋でも使える点がすばらしいですね。オシャレオフィスに似合うであろう、SlackやRobotic Crowdなんかは、子ども部屋でも全然違和感なく行けるんですね。デザインはすごいですね。弊社でも絶賛利用中です。

最適な結果を出せる場所は人それぞれでしょう。SNS映えするオフィス、高速道路の料金所、町中のカフェ、地下のコンクリートの中、田んぼ、港区の地上130メートル、トラックの運転席、ラーメン屋の厨房、顔の見えない金券ショップの小屋、リッツ・カールトンの厨房、証券取引所、屠殺場、集中治療室、スーパーのレジ、坑道、子ども部屋…ほんと色々ありそうです。しかし最適な結果が求められるビジネス…営利行為に従事するにあたり、最適な結果を出せる場所として、私のような低所得の非正規雇用者であっても「子ども部屋」が”そのまんま”利用できるというのは、なかなかいい時代なのだと思います。いや運がいいだけか。まあ、こんなこと言ったら明治大正昭和の内職…いや、伝統手工業はどうなるんでしょうね…

從水之道 雄弁は銀、沈黙は金

さて、イケてるオフィスで結果を出す、いいんじゃあないでしょうか。実際出てますからね結果。さらに肌ツヤも毛ツヤもよくなってるし。ただし、これらは本来言葉にすべきではないのかもしれません。散々書き連ねてきたのにも関わらずなぜそんな事を書くのか?「かってな心」を加えてしまっているからなのかもしれません。ここが冒頭に掲げた2つ目の答えです。

どういうことでしょうか。先に引用した逸話では「あんたバケモノかよ!!何か泳ぐために特別な方法でもあんのか!?」という孔子の問について、滝壺の彼はこう答えました。

「ありません。わたしには特別な方法などはない。わたしは慣れたところから始まって、本性のままに生長し、運命のままにできあがっているのです。水の中では渦巻きに身をまかせて一緒に深く入り、湧き水に身をまかせていっしょに出てくる、水のあり方についていくだけで、自分のかってな心を加えないのです。わたしが水中をうまく泳げるのはそのためですよ。」

亡、吾无道、吾始乎故、長乎性、成乎命、與齊俱入、與汩偕出、從水之道、而不為私焉、此吾所以蹈之也

亡し。吾れに道なし。吾れ故に始まり、性に長じ、命に成る。斉(うずまき)と倶に入り、汩(わきみず)と偕(とも)に出ず。水の道に従いて、私を為さず。此れ吾がこれをむ所以なりと。

なんだか精神論じいさんの説教みたいになりそうですから論理的に精神論をやりましょう。

さて、「かってな心」とは厄介なもので、往々にして言葉を…いや、真理値を産みます。こういう文章なんかはまさしくその例でしょう。ところで滝壺の彼は、「かってな心を加えない」としたうえで、最終的には

自分が何故そんなにうまく泳げるのか、そんなことはわからずにそうあるというのが、運命なのです

としました。運命がどうこうのスピ系の話題について語る気はありません。ここで注目したいのは、言葉によって知覚を分かつ事を控えたことです。そこで物語は終わっています。かってな心を加えていないから、言葉少なく終われるのかもしれません。

どういうことでしょうか。散々長ったるく書きたいように書いてきましたが、このために必要な道具は「言葉」だけです。そんな「言葉」の本質は「分ける」「捉える」ことであります。我々が子宮警備員…は言い過ぎか、産道から出てきて目が開くようになったあの頃、目に映る世界はそれこそ「わけがわからなかった」ということすらわからなかった(未分)のでしょうけれど、今現在は知覚によって…目に映る世界は知覚によって分かたれてしまいました。

そんな分かたれた知覚を「名前を付けて保存(捉える)」することこそが言葉なのかもしれません。視覚の有無については保留しますが、言葉は…述語は主語(対象)を引き渡されることによって真理値を返し、世界を分けてしまう関数だ、という考えもあるくらいです。(精神論の割には論理的な響きですかね)

しかし、滝壺の彼は、うまく泳げる理由について多くは語っていません。せいぜい「水のあり方についていくだけ」で、あとは事実らしきこととして「丘陵地で育った」「水の流れとともに育った」くらいしか言ってません。

言葉少なく終わっています。言葉が少ないから発生する真理値も少ないのです。本当にわからないのならば黙るとか、判断を停止する事が必要でしょうけれど、それこそが「不為私焉」「私を為さない」「かってな心を加えない」「そんなことはわからずにそうある」の境地かもしれません。

そのような境地にあってうまく泳げることと同様に、言葉を付けたところで仕事がうまくいっている現実に変わりはないのです。とはいえ、育った場所がどうも合わなかったり、育った場所より捗る場所があるってことも多々ありますから、その時は外的条件にうまく適合して水のようにやっていければいい感じなんでしょう。しかしいくら言葉を付けようと、私にとって

子ども部屋でリモートワークをすると仕事が捗って肌ツヤと毛ツヤがいい感じになってしまうという事実には、何の増減もないのです。

ならばもう黙って隙間風の音や鳥の声を聞き、宇宙の運行に身を委ねるくらいの気持ちでいくほかありません。モチベーションがどうとかいう単語は発生しませんし、要は余計なこと言わずに粛々とワークするだけです。まあフルリモが長引いて色々ガタが来たら水の流れが変わったということでケースバイケースで臨機応変に水を調整しましょう。現実を「名前を付けて保存」しても、現実はすぐ変わっちゃいます…

どんな環境にも適応できるというのは、往々にしてポジティブに扱われますが、そんな場合であっても「なぜ適応できるのかもわからない」くらいであれば最強かもしれません。雄弁は銀、沈黙は金とは本当によく言ったものです。私も沈黙していきたいものです。ちなみに、プログラミングに論理的思考は厳禁であるとは天才プログラマーの言です。思考は言葉です。おまけとして、もう一つ紀元前の頃の別の話を紹介しておきましょう。

筌(筆者注:竹で編んだ筒状の道具)は魚をとらえるためのものである。魚が捕れたら筌のことは忘れてしまう。蹄(筆者注:ウサギの足を引っ掛けるための罠)は兎をとるためのものである。兎がつかまったら蹄のことは忘れてしまう。

[それと同じで]言葉は意味をとらえるためのものである。意味がわかったなら言葉は忘れてしまってよい。[だが、言葉にとらわれて本質を忘れる人がなんと多いことか。]

わたしは、あの言葉を忘れることのできる人――世界の本質を把握した人――をどこかでさがし出して、ともに語りあいたいものだ

金谷治 (訳) 1989『荘子 第四冊 雑篇』 34p 岩波文庫

※備考:滝壺の彼と同じような人のわかりやすすぎる例としては、現代であればララムリことタラフマラ族の人々が挙げられるでしょう。彼らは競技トレイルランにおいて何度も1位を獲得していますが、「練習はしていない、強いて言えば日々の暮らしかな(※NHK-BSのドキュメンタリーより)」としか語らず、数々の企業の看板と先進素材に彩られたスポーツ用品を身にまとった人々を圧倒しています。他にも元横綱千代の富士なんかもそうでしょう。もっと身近な例では、無名な団塊の世代の方々からは似たような話を公園で何度も聞いています。

不知の知

なぜ、子ども部屋では仕事が捗って肌ツヤとか色々よくなってしまうのか…?

「そんなことはわからずにそうある」

うまく行っている・捗っている証拠・結果さえ提示されていれば、論理的にも感覚的にもとても良い答えだと思います。とはいえ捗っている証拠や結果といっても、それは状況と前提次第で変わる相対的なものですから絶対に捗っているとは言えませんが…

しかしその捗っている理由を強いてわかろうとして言葉を多くしたところで、わかったことにはなるかどうかは、私にはわかりません。それならば、言葉を多くするより数式や詩で短くまとめたほうが美しくていい感じです。統計は個人を予測しない上、周りに自宅警備10年選手の方もいらっしゃいませんから、別に科学的に分析するとか、あるいは工学的に汎用可能なメソッドを抽出するまでもなさそうです。だからこそこうやって紀元前の散文をメインに据えているのです。

「まあうまく行ってしまうんですよね(前髪を触りつつ証拠を出しながら)」くらいもいいのかもしれませんが、しかしそんな中学2年生みたいなことは実際にはやっていられません。いやこの文章がそうか?まあ、もし説明するにしても、先の滝壺の彼のように、言葉少ないといいんでしょう。はい。

「私は、室温・空調・調光が適切である子ども部屋にあると、仕事が捗るようです!通勤で疲れないのもいいですね!そんくらいです!」

いやーこれ、年取ったら大変そうだな。ところでなんですけど、リモートMTGで背景和室の人を見たことないんですよね。みんな白い壁紙とフローリング。なんでそんな白いの。土壁良いぞ土壁。襖も良いぞ。昭和から続く商店街の道路に面した食堂の2階の和室とか、仕込み時間中の大衆食堂の客席でカメラONにしているファッションリーダーの方、いらっしゃいません?いらっしゃいませんか?とりあえずローデスクというよりかは角張った卓袱台&座椅子ですが、別に疲れませんよ。慣れやで慣れ。

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